グリンのおもしろダイアリー

趣味のこと、大好きなジュリーのこと、家族の面白かった会話など、覚えておきたいことを書き留めて行こうと思います。

映画「土を喰らう十二ヵ月」 見てきました!感想いろいろ

※ まだ映画を見ていない方はネタバレありますので、ご注意ください。

映画はまだ一回しか見ていませんが、感想を書いてみました。まだパンフレットや各紙に載っていた記事も細かくは見ていないです。

パンフの表と裏表紙は一枚の写真になっています。

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沢田研二とツトム

原作を読んでみたとき、沢田研二に話を持って行った監督をすごいと思ってしまった。だって、この役をできるのは、沢田研二以外にいないから。

ラジオ番組で、「ジュリけん」という、ジュリーファンなら知ってるであろうトーク番組があった。「ジュリ」は沢田研二のこと、「けん」は志村けんさん。この二人と、吉田涙子アナウンサーの三人がテーマに沿ってお喋りをするといった趣旨の文化放送の番組である。

この中でジュリーは、こと食べ物の話になると前のめりになって、熱の入った喋りを展開するのだが、これがすごくマニアックというか、めちゃくちゃ面白かった。

ジュリーは、漬物も自分で漬けるし、料理もする。それもものすごく知識が深い。「炊き込みご飯 VS 混ぜ込みご飯」の時も熱く語っていたが、梅をよくつぶし、わさびをすって、合わせ、、、これがうまいのよ、と言う話もあり、なんと幅の広い人だと感心したものです。

映画を見ていると、やはりやったことのない人の所作ではない。野菜を洗う所にしても、胡麻をするちょっとした動作も、丁寧で手を抜かないし、しなやか。

映る手は、ジュリーじゃない時があるそうで、これはどうかな?と見ていたが、ハッキリとは分からなかった。ジュリーは包丁を使って切るときに、左手を猫の手にできない、なんて言っていたので、それも見ていたんだけど。

右腕に、結構長い古い傷がちらちらと見えたけど、それはジュリーの手。

2回目に見た時に、あ、これは土井先生では?と思う手がありました! ふふ、やっぱり、違うね。切る感じとかね。何カ所か、あるね。

でも、この映画の中にいるのは、沢田研二ではなく、ツトムという一人の、禅寺で修行した、作家の人なのだと思いました。

ナレーションのこと、主題歌「いつか君は」のこと

まず映画の最初に、えっ、ナレーションはジュリーなんや~!と思って心の中で小躍りしてしまった。嬉しかったです。映画の最初の方に「いい男ね~」と真知子がツトムを見ながら言うセリフがあるけれど、私も言いたい。「いい声よね~」

さて、急遽決まった?主題歌。

「いつか君は」

11月の神戸のライブから、セットリストの中のアンコール曲が「頑張んべえよ」から「いつか君は」に変わったので、Twitterなどでちょっとした騒ぎになっていたのだけど、映画が始まってやっと納得。試写会に行った人は口止めされてたらしく(笑)、だれも漏らさんかったのがすごっ!と思いました。

この曲は、今の声で録音した曲ではなく、1996年に出したアルバム「愛まで待てない」に入っていた曲をリマスターしたもの。ライブでも最近は歌われていないけれど、埋もれていた名曲と言っていいのでは?

それにしてもこんなぴったりの曲があったんだ!ということが驚き。50年歌い続けてきたからこそ、そのストックの中にぴったりのものを見つけることができるんですよね。凄いです。

 

センセイの鞄」のツキコさんと先生を思い出した

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ジュリーの舞台を見た人、あるいはDVDを見たことのある人なら知っていると思う、川上弘美さんの小説センセイの鞄。ジュリーはこのお芝居を音楽劇の舞台でやっていますよね。一回目は坂井真紀さん、二回目は富田靖子さんで。ツキコさんの表現に違いはあったものの、だいたい同じ内容での上演でした。センセイとツキコさんの年齢差(30歳)が、今回のツトムと真知子の関係にダブって見えたのは私だけでしょうか。

センセイが亡くなったとき、ツキコさんに残されたのはセンセイの鞄が一つ。ツキコさんは時折その鞄を開いてみるのだが、

「鞄の中には、からっぽの、何もない空間が、広がっている。ただ儚々(ぼうぼう)とした空間ばかりが、広がっているのである。」

川上弘美著:センセイの鞄 より)

この空虚さ、果てしない悲しみ。夢だったのだろうかというような、儚い思い出。

いったんは一緒に住まないか?と誘っておきながら、一緒に住むと言った真知子を、突き放してしまったツトム。心筋梗塞で生死の境をさまよわなければ、受け入れていたのかもしれない。作った食事を豪快に、美味しい、おいしいと言って食べてくれる人の存在は、作り手の何よりものご褒美であり喜びである。毎日一緒にご飯を食べたら、どんなに毎日が楽しく、張り合いがあるだろうか。生に満ちていればこそ、言えた言葉だったと思うのだ。

しかし、心筋梗塞になって生死の境をさまよったツトムにとってはどうなのか。彼女の方は心配で、お世話をしたいと思っただろう。でも、ツトムは違う。

この時彼は、自分が死んだあとのことを考えたのではないだろうか。妻の母の骨壺の引き取りを拒否する弟夫婦。自分が死んだら、その骨壺は?

人生がこれから何十年も続いて花開いて行くであろう人を、これから死にゆく自分の人生に付き合わせてはいけないと思ったのではないだろうか。

「好きな人と食べるご飯が一番うまい」のだけれど、

年の離れた恋人を自分の元に置いておくわけにはいかない、というのが彼の愛情なのだと思った。

最後、真知子に、妻の骨壺はどうするのか・・・と聞かれる下りで彼が答えなかったのは、言うことで恋人を引き留めるようなことをしてはいけない、と思ったからなのだろう。

彼が何も語らなかったときに、何か込み上げるものがあった。

本と映画のパンフレットで一つの料理本

この映画が発表されたときに真っ先に原作本を読もうと思った。友人に水上勉のこんな本を知ってるかと聞いたら、なんと、知っているという。婦人雑誌に連載されていて、リアルタイムで読んでいたらしいのだ。そうなんだ、人気の連載だったのだな。

ところが、大手の本屋なのに置いてない。驚いたことに、水上勉の本を一冊も置いていない。まさか!

メルカリを覗くと、単行本の「土を喰ふ日々 わが精進十二ヶ月」を見つけたので購入した。う~ん、水上勉氏はカッコいいね~。この本は、お料理本としても秀逸だが、水上勉の写真集ともいえるな。

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読み進めると、推理小説のようにはスラスラとは読めない。一文一文、音読するような感じで、料理を想像しながら読み進めた。風や雪の冷たさや、草や木の匂いを感じながら。

ところが残念なことに、写真はあるけれども白黒。料理本のように見えるけど、これはエッセイ?こういう形もあるんだな。

今回、映画のパンフレットを購入したら、美味しそうなお料理、私が見たかったカラー写真がたくさん載っていて、本当に美しくて感動した。本とパンフレットを併せて宝物にしたいです。

でも、今回こういうのも出ています。

 

 

また思いついたら更新していきます。取り急ぎ今回はここまで。

この写真、好きやわぁ。