私は現在、楽しくテニスをしているのですが、私がテニスを始めた頃と、今ではどう違うかをちょっと書いてみようと思いました。
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ラケットがウッドだった
私がテニスを始めたのは中学校時代。軟式(ソフト)テニスしかなく、硬式は高校以上、というのが普通でした。その頃に、沢松和子さんとアン清村さんペアがウィンブルドンの女子ダブルスで優勝。大ニュースでした。
硬式テニスは大学から。1970年代後半。初心者は大体 Kawasaki や Wilson のラケットを勧められました。
少しうまくなって購入したのが、当時大人気プレーヤーのモデル。
クリスエバートProStaff
最後に購入したウッドラケットです。今見るとすごく長くて面が小さい。持ってみると、こんなに重かったの?というくらいズシリと来る。352グラムもあるわ。今使っているラケットは300グラム。
その頃にはアルミやグラスファイバーのラケットも出て来ていました。素材の変化には目を見張るものがあります。大きな面のラケットが登場し、デカラケと呼んでたな。ヨネックスのラケットを使い出す人も多かった。
グリップがコンチネンタルだった
軟式をやっていた頃はウェスタングリップだったけれど、硬式になってからは完全にスタイルを変更。その頃はイースタンと教えられていたけど、今調べるとコンチネンタルグリップだったようです。ケン・ローズウォールの美しいフォアハンドとバックスライスが手本でした。
私はバックハンドがうまく行かず、当時、ジミー・コナーズやクリス・エバートがやっていた両手打ちのバックハンドにし、上手く打てるように。
今はフォアはコンチネンタルとウェスタンの間のイースタン。少し厚めでスピンも掛けられるように持っています。
ケン・ローズウォール、ロッド・レーバー、ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、ビヨン・ボルグ・・・私が20代の頃だけ見ても、ラケットもグリップもスイングも変わっていったことがよくわかります。
白いボールに、土のコート
始めはボールが白でしたよ。途中から黄色に変わりましたが、両方使っていたな。でも土のコート(クレーコート)だったから、だんだん茶色くなってしまって。赤土のアンツーカーのコートも多かった。
土のコートはメンテナンスが大変で、雨が降るといつもスポンジやウレタンで水を吸って、土も入れて、コート整備をしていたし、重いローラーを引いて土を固め、コートブラシも必ずかけなければならなかった。
今は楽ですよね。徐々にハードコートと呼ばれる固いコートが増えてきました。今スクールではインドアカーペットや砂入り人工芝(オムニ)です。
そういえば、クレーコートの場合、砂の上をすべるようなフットワークを練習した!でもハードコートでこれをやると膝を傷めるので、フットワークもコートによってちがいました。
ストロークと雁行陣が主流
ウッドラケットの頃は主にストローク戦が主流。女子のシングルスなんて、ストロークの応酬が長くなることが多かった。男子はサーブ&ボレーで前に出ていくスタイルもあったけれど、女子はまだまだだった。これがラケットの変化とともにどんどん前に出ていくようになった。パワーテニスの幕開けです。女子ではナブラチロワが女子のパワーテニスの先駆者でした。
ダブルスも雁行陣が主流。前衛、後衛と役割が決まっていることが多く、沢松和子さんとアン清村さんペアも主に沢松さんがストローク(後衛)、清村さんがボレーに出る(前衛)パターンが多かった。私の場合も、雁行陣で主に後衛の練習が多かったので、ボレーがどうしても下手。あの頃にもっとボレーも練習したかったなぁ。
今ではスクールの初中級くらいでも雁行~並行陣を教えてくれるし、ボレーはストロークと同じくらい練習時間も割いてるからすごく楽しい。
トーナメントは「負け審」で終わる
学生時代、遊びでやるような試合はセルフジャッジをしていたけど、大体は誰かが審判台に上がってジャッジをしていた。
今スクールに行くと、審判台そのものが無かったりする。草トーナメントでもセルフジャッジなんですねー。
学生時代、負けた後は「負け審」としてすぐに次の試合のジャッジをしなければいけなかった。1時間以上の試合の後ってこともあったし、炎天下の試合の後のさらに一試合。トーナメントの最後は決勝戦で闘わない限り、審判をしなければならない、わけです。
なんか、懐かしい。
今シニアになって記憶力(特に短期記憶)が弱いから、セルフジャッジとか、ようせんわー。
また思いついたら書いていきたいです。